常照寺の歴史

真宗高田派 常照寺の概歴

「常照寺」の前身である「常照院(じょうしょういん)」は三重県津市一身田町にある、真宗高田派本山「専修寺(せんじゅじ)」の山内にあった。

本山第十一代 應眞(おうしん)上人は法嗣(ほっす)であったが、後柏原天皇第二皇子常磐井の宮殿下のご降下が許可され法嗣として入山し気樂院宮堯慧(ぎょうえ)上人と称した。

天文六年五月二十五日、第十一代應眞上人の没後、第十二代を堯慧上人が継承する。この十二代上人の御裏方の遺言に「私の死後は法名を以て直ちに寺号とし、一宇を建立して報佛恩の営みをするように」との御遺言を残し永禄五年六月十一日逝去せられた。その法名を「常照院殿慈芳大法尼」と称した。
この御遺言通り本山第十三代堯眞(ぎょうしん)上人が(一五六二年)一宇を建立し「常照院」と公称した。

明治二十七年に至り、山内の御連枝玉宝院水沼寛厚師が住職となり、大正十年まで在職された。その後大正十二年五月、高田派本山より常照院の移転復興を賜り丸林集蔵が新潟での初代住職として当院が再興された。
昭和二十一年五月、宗教団体法廃止に伴い名称を「常照院」から「常照寺(じょうしょうじ)」と改称。
平成二十四年二月、管轄庁の許可を得て東京都町田市に常照寺分院を設立し現在に至る。

常照寺が建立されてから今年でちょうど四百五十年目を迎える。
寺宝としては永禄年間、高田本山から賜った湛慶(たんけい)作と伝えられる阿弥陀如来木像と、弘法大師の書と伝えられる掛け軸一幀がある。

平成二十四年六月 常照寺 第十五代住職 丸林 礼祥(れいしょう)

常照寺

〒195-0051東京都町田市真光寺町337−16(町田いずみ浄苑内)

常照寺